「(1986年、チェルノブイリ事故当時)私の人生に選択肢はありませんでした。でも、両親がさまざまなリスクを冒してくれました。私が強い心を持っていられるのは、そんな両親に育ててもらったから。感謝でいっぱいです」(マリア・シャラポワ)
「両親は私を妊娠した4ヵ月の時に、すべてを捨ててチェルノブイリから130キロのゴメリからシベリアへ移住してくれた。とても貧しかったけれど、今の私があるのは、両親のおかげなのよ!」」(マリア・シャラポワ)
<以上、ビデオから>
ただ、ただ、放射能汚染から子どもたちを守りたい一心で避難してきた気持ち、自分と同じです。
仕事のことも、経済のことも、一切計画も見込みもなく、ただ放射能汚染地域から離れたい、それだけを思い、移住を決断しました。
経済的な苦しさはマリア・シャラポワの父親と同様です。家賃を払えないことも・・・
それでも、子どもたちを守りたい、子どもたちの魂の要求を実現させたい、それが自分の使命だと、父子家庭で5人の子どもたちを育てています。
どんどん成長していく子どもたちの姿に、自分が取り残されて行く気もしています。
しかし、一段目のロケットは重い荷を持ちあげ、加速して、次のロケットの加速を支えるのがその使命です。
飛び出すロケットを見送りながら、自分の役割を全うし、力尽きて落下していくのが、自分のこれからの姿と、素直に受け入れるほかありません。
シャラポワのお父さんのすごいことは、子どもの才能を見抜き、それを信じきることです。
それを信じ切れれば、あとはそれをどんなに苦労しても実現させるだけです。
そうなるに決まっているのだから。
我が家では特別な英才教育は一切していません。
それでも長男は海をめざし、長女は馬をめざし、自分の道を自分の魂の要求通り、実現させていこうとしています。
それが私が望んできたことです。成績や競争ではなく、自分の道だけをめざして欲しいと思うからです。
北海道に移住してきたことで、彼ら、彼女らの運命は変わったかもしれませんが、それが魂のめざしてきた運命だったと思うのです。